2020.9.1. リニュアル中です。 皆さん元気ですか、私、洋子ちゃんと毎日、楽しくんでいます。  My Life Stage2020ご覧下さい 
music 愛しのプレリュード (カーペンターズ) .15     平成25より531まで bQ

2009.10.11〜14 沖縄美ら海水族館、訪問
勇哲.洋子のポートフォリオ パート 2
   My Life Stage 2013.4.5.

             製作・配信 大和三郎丸  (上瀧勇哲)

平成25年4月から5月31日までのお話しです。

暖かい季節を迎えています、この頃ですが、3月末から4月にかけて、行橋市の今川河口は桜が超満開でした。例年より一週間も早く咲いた桜並木は、アッという間に桜吹雪となり、ミータンが入園しているキラキラ星幼稚園、4月8日の入園式では、ピンクの桜がありませんでした。
地球温暖化の影響で、日本全国の桜が3月末で終わってしまうなんて信じられませんよね。



4月〜 のお話し、出来事です。


さて、3月から始まった我が家の庭園造りは、吉本耕二くんが言うように、おとぎ話のようなメルヘンチックだそうです。そのメルヘン作りに毎日励んでいます。仕事から帰っての夕方から、日が暮れるまで長グツを履いてゴム手袋をして、様々な草木の手入れから挿し木、植木、土いじり、雑草取り、そしてタイル、レンガ貼りした床の整備です。
色や形の違った大小さまざまなレンガを組み合わせた床、外灯にも工夫しています。
一応、アートのつもりで楽しんでいますが、けっこうこれも大変なんですよ。ナフコで砂、ジャリ、セメントとか、近所の工事現場で貰ったコンクリートを下地にしてセメントを流したり、タイルを貼ったりする作業なんですけど、すごーく重労働。おまけに、水平とか、デザイン、スタイルを気にしながら、毎日少しずつしています。

  お食事前のご挨拶をしましょう「いただきます」

オロナイン軟膏のお手紙

大塚製薬株式会社 岩本太郎 社長 様

拝啓 新緑の季節となり、我が家周辺の田畑にピンク色のレンゲ草が広がり、小高い山並から周防灘の風が心地良くさせてくれるこの頃です。

さて、突然のお手紙を社長様 他、スタッフ皆様に差し上げましたのは、私の命を長らえてくれた「オロナインH軟膏」の存在を大変感謝するものです。お話しは長―くなるので、コンパクトに説明します。

私は北九州市若松区、若戸大橋そばの吉田印刷株式会社に21年間勤め、さらに小倉南区の若園印刷商会に10年、そして現在の行橋市、田中印刷所に13年、計45年ほど印刷所勤めが続いております。その中でも、平版印刷機械工員として7割、後の3割が、それに関わる文字を扱う製版業務とか営業などに3割ごろ関わり、現在に至ります。
その中でオフセット印刷機械工として大型輪転機や活版印刷機から小型輪転印刷機械など幅広く、印刷インク、油、シンナー系、軽油など扱います。これ等の油を溶かす精油は、手荒れなどの、皮膚を傷める、労災にあたる物質ですが、上手に使用しながら印刷業(仕事)を熟すのは当たり前のことです。その件です。

最近、印刷会社から多数の労災認定される非常事態が新聞、テレビが賑わしている「胆管癌」です。今でこそ世の中で、この事がクローズアップされていますが、私のように18才から(昭和42年から)この仕事をしていると、職場の先輩達が肝臓癌で早死にしていたことが悔やまれます。又、印刷所勤務の方が早死にするのはなぜか?とか、当時は全く分からなかったのです。その時代の印刷業を今だに私は続けています。
63才になって、もう限界!! と考えるぐらい身体がガタガタになっていると想うのです。しかし、会社の簡素な定期検診は毎年正常です。そのような事を踏まえて「私は長生きしているナァー」と最近つくづく思うのです。

@私は子供の頃から「オロナインH軟膏」を欠かせませんでした。親が常備薬としていつもチューブタイプを二つ、何処かに置いていましたから、家族で使用しました。
A印刷所に入社して、ガソリン、灯油、インキ洗浄剤などを頻繁に使用するので、手が荒れますから、机の引き出しには、いつもビンタイプの「オロナインH軟膏」を入れておきます。冬季は特にアカギレに悩まされていましたから。
B一方では、鉛活字を扱う部門にも入り、文選、植字、活版印刷機械などにも携わりましたが、いつも引出しに瓶タイプの「オロナインH軟膏」があり、良く使いました。
C勤めている印刷所は3階建ての冷暖房のある近代的な工場で、いつも換気扇は廻っています。ただ、この当時の北九州市はジャパンの中でも四大工業地帯、八幡製鉄所等があり、空はいつもスモッグ。そばの洞海湾は死の海でした。そんな環境の中で仕事をしていましたが、鉛で亡くなった方、肝硬炎で亡くなった方が数人いました。
Dそんな住いから、自然環境の良い小倉南区に34才で移転しました。そして、若い時から覚えた魚釣りで、週末になると九州一圏飛びまわっていました。そんな生活サイクルには必ず「オロナインH軟膏」があります。
E印刷会社でインキを扱うとか、ものものの仕事後の手洗い後には必ず「オロナインH軟膏」を、少し手に付け、ついでに顔にもペタペタやることが、一日に10回は「オロナインH軟膏」を手に付けていたでしょうか。家に帰っても「オロナインH軟膏」の特用瓶が洗面台、薬箱、リビングに3個ほどあり、子供達も勝手に付けています。
F私は職業病でもある、皮膚のカサカサ、痒い痒い病が若い頃よりあり、今に想うと「胆管癌」の症状が出ていたようです。ですから現在でも「リンデロン-VGクリーム=塩野製薬梶vを年10コほど必要としています。この薬は行橋市の井手口病院から貰っている、すごく良く効く軟膏で、もう7〜8年になります。昔は「オロナインH軟膏」で痒い痒いを身体全体を補っていたのですが、無理でしたから、皮膚科とか耳鼻科など随分長く通いましたが、あまり改善されていません。それで会社職種をソフトな現場に変わったことで、和らいだこともあります。
G今、この稿を書いている机のそばに「オロナインH軟膏」があります。いつでも、どこでも「オロナインH軟膏」は欠かせません。お魚釣りの塩水(海水)にも弱い私ですから、マイカーの中にも「オロナインH軟膏」があり、妻と私の車に1個ずつ常備し、釣り仲間の弟の車にも「オロナインH軟膏」を入れておきます。お魚釣りが終った後、手洗いして必ず「オロナインH軟膏」を使います。
Hそれと週二度の、お風呂から上がって、必ず全身にごくわずかの「オロナインH軟膏」を塗り、ついでに髪を洗った後にも、少しの「オロナインH軟膏」を頭にも、髪の毛にも少し塗ってやるのです。手にペタペタ付いている「オロナインH軟膏」を頭髪に擦り込むぐらい、ホンの少し付けます。その後「MG5」で髪を整え、ドライヤーでセットし、「MG5ハードスプレー」でシューと吹いて、一週間単位でこの事を繰り返して、もう20年になります。おかげさまで細い、髪の毛がなんとか生き残っております。本当ならハゲているのですが、「オロナインH軟膏」のおかげで髪の毛があると今、信じています。
Iちなみに、毛生え薬「カロヤンハーイ」とか色々試してみた事30代からあります。しかし、あまり改善されなくて、今のような「オロナインH軟膏」効果を凄く感じています。
Jですから、私の身体は「オロナインH軟膏」のおかげで髪の毛とツヤツヤした顔、美しい手?でなくて、63才ではないぐらい生き々している!! と、皆さんから言われます。少々オーバーな表現をしていますが、そのぐらい「オロナインH軟膏」は私を助けてくれた常備薬なんですね。
Kこの事を早くお手紙にしたかったのです。このきっかけをくれたのが、印刷所工場で起きている「胆管癌」です。私もいずれこの病気で亡くなるのですが、今まで生きていたのが不思議なぐらい!! と想います。このことは
・「オロナインH軟膏」の おかげ。自然環境が優しい海辺海岸で、家族や仲間達と魚釣りをする おかげ。お酒を飲まない、タバコを吸わない おかげ。そして自然環境に優しい住まいを持っていることで私は長生きできていると想うのです。大塚製薬株式会社さまの「オロナインH軟膏」で毎日の健康と生甲斐を楽しんでいますこと、心より御礼申し上げます。今後とも研究スタッフ皆さんが、人々に優しいお薬をたくさん発売されて、世界ワールドになることを期待し、家族、仲間達と応援させて頂きます。ありがとうございました。     敬具
2013.4. 吉日

PS
 別冊紙は、私がお魚釣り文化を大切にしている想いを、たくさんの人々、特に政治、経済、をリードしている方に差し上げております。興味を持ってもらえる方に拝読頂けたら嬉しいと想います。又、同様な文面をホームページでも、ご覧頂けます。



  ローズガーデン

4月6日(土) 市営団地に住む老夫婦から、植木など
いつもチャリンコで通勤している団地通りそばの、〇○さんから、たくさんの「植木やお花を差し上げます!!」ということで、ボケ木やツツジ木、千両、万両木など、草花をドッサリ頂きました。洋子ちゃんの車に満サイします。次の週は哲ちゃんにも声をかけて、2台の車が満パイになるぐらい、たくさん頂きました。
○○さんは、今週引越しをするのです。それで、家周りに植えたものをホンの少しだけ持ち、後はこの家が壊され、平地になります。詳しくお話しをすると、150世帯あるこの団地は全て立ち退きになり、全ての家が壊され平地になります。その跡地は民間に売却されます。そのことで、この団地の方が昨年からドンドン引越しされ、残った植木、お花畑が取り残されるようになってしまうのです。
それで○○さんから頂いた、お花畑や植木を我が家のあっちこっちに植えました。お花畑は植木鉢に入ったまま置いています。今からお花が咲いてくれるのを確認してから、もう一度整理するつもりです。
哲ちゃんはツツジ木など15本を玄関前に植えたそうです。それなども今から花芽が出て美しくなるでしょうから、そんなこんなのお付合い、洋子ちゃん手作りのタマゴ焼きとかオカズ色々、お魚さんもプレゼントしました。小さなコミュニケーションですが、今度は我が家に遊びに来てもらうつもりです。

4月15日(月) 市営行橋団地に住む大山から、大輪のバラ木など

私の通勤コースに、奇麗にしている大山さん家の小さなお花畑、ここに大きな赤いバラが毎年すごく立派に咲いています。今年も華やかで楽しみなのですが、それを育てている奥さまが、明日、引越しをされます。それで思い切って聞いてみたら「貴方にあげます!!」。優しそうな70代ごろのおばあちゃんで一人住まいなんですね。それで、丁重に言葉を交わし、大切に育てた「カサブランカ(ユリ)も上げます!!」とかで、色々頂けることになりました。
毎日、通勤しているコースの古い家並みが近々壊されますが、顔を合わせて「おはようございます」「こんにちは」の挨拶から始まっての、コミュニケーションがドンドン出来なくなっています。
みんな行橋市の北団地に引越されているようですが、新居地は皆さんイヤがります。植木、お花畑のスペースがありませんから。そのような朝の挨拶が少なくなってきましたこの頃です。



4月中旬のガーデニング整備状況

ご近所の人々が散歩で、いつも声をかけてくれるコミュニケーションを楽しんでいますこの頃ですが、その人々に少しでもリッチなハートになってもらうよう、外庭の整備?をしています。
その一つがバラ園です?今度はバラのアーチをイメージして、玄関横の勝手口通用門に幅150p、高さ2m以上のアーチを考え、両サイドに下地を取り付けました。後は上部の丸いアーチだけ。その横にツルバラを4本植え替えました。そして舗道通りにバラの挿し木など20本ばかし植えて、早う花が咲かないかと、今か今かと待っていますこの頃です。

そのバラアーチ下の通り、勝手口は二段の階段があります。その階段を壊してスロープにしました。
コンクリートだけでは面白くないので、タイルに写真を焼いた21p角タイルを5枚に、色を添えたタイルを貼って、すごーくアートになりました。散策の人々が「上手」とホメてくれます。
そして、その中で、いつも週刊つニュースを読んでいます、と、釣りのファン子ちゃんに声をかけてくれる40代のご夫婦もいます。そんなこんなで、益々美庭にしなくては?と、毎日毎日の数時間、少しずつですが変化している我が家です。ご近所の皆さん、ぜひ遊びに来て下さい。

4月15日(月) 海洋磯釣倶楽部 会員、吉本耕二さんの訃報 ……… 別ページ

4月16日(火) 海洋磯釣倶楽部 会員、吉本耕二さんの通夜 ……… 別ページ

4月17日(水) 海洋磯釣倶楽部 会員、吉本耕二さんの葬儀 ……… 別ページ

4月20日(土) 元永氏子が関わる須佐神社の神幸祭、飾り奉納

数百年続く豊前国、須佐神社、大祖大神社の神幸祭は、京都平野の米作農民の豊作を祈った祭りと聞いている。その祭りを知ったのは、元永区にに引越して来て数年後の平成20年だった。元永区の区民のお世話係が当番制となっている為、1年間、区民のお世話、兼、須佐神社とかお寺、農業に関わる行事がたくさんあり、北九州市に居た時とは全く異なる、元永文化に携わることになり、様々な体験をさせてもらった。その中で今度は、祭り前の飾りを朝8時から10時過ぎまで、組の40人ほどで奉仕した。年に数度ある行事に於いて、互いの顔合わせがあり、コミュニケーションを高めてゆくプログラムも結構楽しめている。


元永神幸祭の準備をしました。H25.4.20.

4月21日(日) 市営行橋団地

200世帯あまりが4月ごろまでに立ち退きされることで、通勤コースである団地内の、おばあちゃん家3軒から、ツツジ、千両、万両、ボケ木、バラ木などを頂きながら、ちょっとだけなにがしのお手伝いをしている分けだが、その頂いた植木類を我が家とか弟家などにプレゼントなどして、3月から4月は大忙し。おかげで我が家に新しい植木が入り、来年は凄く花木ができそう。ただ、引越しされる200世帯以上の人々は、新しい行橋団地に住むようで、その広い跡地は区画整理されて売却とのうわさがある。


5月1日(水)からの釣り旅行は、九州一周をターゲット(詳しくはサーフメイズ JAPANでどうぞ)
今年5月のゴールデンウイーク日は雨がなく快晴で、絶好の釣り日和?が続き、帰宅してからやっと雨が降る程度のお天気でしたから、二人とも真っ黒に日焼けしました。
1日から2日、3日は大分県蒲江の西野浦湾とか猪串から丸市尾、波当津、そして宮崎県の北浦町直海から古江、宮野浦など、10数年ぶりの釣り場で、すごく様変わりした環境に驚きました。
蒲江町から宮崎県北浦に東九州道路が開通し、更に宮崎県内にドンドン有料道路が伸びている状況に驚いています。

そんな国道10号線とかバイパスなどの接点には「道の駅」が多くあり、たくさん利用させてもらいましたが、連休日とあって広い駐車場は、どこも満パイ。お買物に来る地方の人々から里帰りの方、そして私達のような観光人がミックスされて大変な人、人でした。


九州の最南端佐多岬に、40年振りの二人です。ということは洋子ちゃんはその当時18才でした。
お魚釣りはボチボチの釣好でしたが、キス釣りは釣好が少なかったようです。

5月4日(土、祭日)

夕方に宮崎県門川町庵川港の中原釣具店に立ち寄りました。
店主の中原順也さんとは今年3月、全九州釣ライター協会の総会で会って以来で、この協会を通して、もう20数年のお付き合いがあります。ただ、お店に伺ったのは初めてです。お久しぶりの再会でしたから、長ーィお話しをしながら、昔の想い出話しがたくさんあり、そしてキスポイントを紹介してもらって、庵川港でキス釣りをしました。


宮崎県北浦の道の駅です。

5月5日(日、祭日)
宮崎県の日南海岸から青島、そして鵜戸神宮にお参りします。私は二度目なのですが、駐車場から登り下りして、すごーくハードな歩きを洋子ちゃんはギブアップ。休息を取りながらのお参りがありました。その後、都井岬観光では、馬の放牧から岬灯台に登り、絶景を眺めながら心地良い初夏の風を浴びて「来て良かったね!!」


都井岬灯台など、馬の放牧からお猿さんがたくさんいました。

鹿児島県の志布志湾から内ノ浦の宇宙ロケット基地に行きましたが、午後5時前ということで、間に合わなくて残念でした。ここで愛用のサングラスを置いたことを忘れ、すぐに気付くも、もう無くなっていたことで、悔しい想いをしました。2万円もしたサングラスですよ!!
洋子ちゃんが言います「年をとったから、すぐに忘れるの!!」
その後、鹿児島湾を北上して佐多岬の最先端駐車場で車中泊します。


日南海岸、鬼の洗濯岩など、道の駅からです。

洋子ちゃんの愛車、ダイハツ・タント・エグゼ2011年型は、後部シートを前に倒して、コンパネ2枚を貼り合わせてビスで止めると、真っ平らになります。運転席、助手席シートを前に倒してしまうと、165pの私が、まっすぐ足を伸ばして寝れるスペースがあり、180pまで可能です。
そのコンパネ上に銀マットを敷き、その上にマットレスを敷きつめると、フワフワのベットになります。後は布団型の寝袋を広げて、二人で抱き合って寝ています?荷物は後部シート下に大型バックが4つは納められ。運転席シートなどに物を置きます。36リットルと11リットルのクーラーボックスと、44p、40pのバッカンに竿袋ケースは車外に出しておきますと、洋子ちゃんは暖かい布団の中でDSの「とびだせ動物の森」ゲームを通信して遊んでいます。

ですから、私達の釣り旅行は対馬一周でも、平戸や鷹島でも、すべてタントで釣行し、車中泊が多いのですね。ただし、お金に余裕があるとか、ちょっと気分を変えたいときは国民宿舎とか温泉、道の駅に立ち寄っています。定年したご夫婦の皆さん、ぜひ私達のような釣行スタイルをやってみて下さい。車中から自然景観に浸れますし、なにより大自然の中でちょっとお魚釣り、その上で観光なんて、すごく楽しいと思いますよ。


鵜戸神宮は大混雑でしたが、ここでもお魚さんがたくさん釣れますように。

5月6日(月、振替休日)

佐多岬より朝日を拝みまして、直下の荒磯には渡船が二ハイ、釣り人を磯上りさせている光景を、真上から見ました。
その後、鹿児島湾の桜島を一周して、火山岩を3つほど拾います。そして東九州道を利用して鹿児島市内観光、市立美術館や国立博物館を見て、再び九州道を利用して熊本城に行きます。



すごく立派な熊本城の景観を、ゆっくり、のんびり散策し、夕方7時まで居ました。8時ごろライトアップされるそうですが、熊本城は広くて自然がいっぱい。又、人々の人情にも少し触れてみましたが、係員の方が北九州小倉城を数度訪問したことがあるとかで、再びこの方と30分もお話しが盛り上がったのですね。
旅は色々な人々との交流を持たせてくれます。特に、我が住まいから地域を互いにPRしながら、接点をどこかで繋げてゆけるところに楽しさがあり、面白さが生まれてくるのでしょうか。「こちらに来たら、ぜひ立ち寄って下さい!!」そんなコミュニケーションができるのも、人々の人情の厚さからくるものですね。今度の釣り観光旅行は、お魚さんは少しでしたが、多くの事を学びました。洋子ちゃんも大満足でしたから、次回はどんな釣り旅行になるかお楽しみ下さい。



バックは桜島です・噴火してました。(南 江湾から撮影)

鹿児島市内の美術館や薩摩城、鹿児島歴史資料センター、黎明館観光
熊本城の散策から天守閣まで訪問しました。

お母さんの日、いつもノブノブパパさん家族から優しい思いやりを頂いている洋子ちゃんは幸福です。ありがとうございます。


5月12日(日曜日) 九州磯釣連盟、総会で、ミータンが下村会長に花束


数日前、ユーミンに日曜日のお食事会に誘った。なんにも言わないで、とにかくミータンと遊びたかった?

それで、ユーミンが洋子ちゃんに電話で確認すると、その日は九州磯釣連盟の総会で、おまけに下村会長にお花をプレゼントするプレゼンターにミータン(孫)が加わることを聞いて「お父さん、そんなこと言わんヤッタ」とかで、少し困った様子。でも、明るい娘はすぐにOKをくれて、この日一日、ミータンと遊べるのでした。
昼前、元気の良いミータンを迎えに行き、お花を注文しているルミエールのお花屋さん。ここは10年以上前からお付き合いがあるお花屋さんだから、いつもたくさんのオマケをしてくれ、しかも豪華なものを作ってくれるので、どこのお花屋さんより、このお店を利用している。そのお花を三つ頂いて、小倉毎日会館へ。

早速、私手作りの機関誌「サーフメイズ JAPAN 2013」と「九州と本洲を隔てる関門海峡の海辺海岸線を自然美あふれる優しい環境を整える提案書」を、40名の役員さんに配布。そして総会に出席した会員さんに「機関誌」を50部ほど配布します。このような事を私は毎年繰り返しています。


総会が始まり、下村会長の挨拶。今日はちょっと雰囲気が違いますが、簡単に挨拶をしています。
そして、もろもろの審議を経て、下村会長が18年間務めた会長職を勇退して、福岡の牛島さんが推薦され、第4代会長となりました。そして最後に私達家族より「下村会長、18年間お疲れさまでした」という挨拶で、武原副会長、河野副会長、そして下村会長に、それぞれ花束をプレゼンスしました。ミータンは、いかめしいおじさん達がたくさん居る中で、お花を下村会長に堂々と渡します。洋子ちゃんは武原副会長、私は河野副会長さんです。又、年間チャンピオン、キスの部で優勝した洋子ちゃんに代わって、賞状、記念像もミータンが下村会長より頂くのです。たいした勇気なのですが、それにしてもたくさんの会員さんがミータンを見て「カワイイ」の連発がありました。自慢の我が孫娘を、皆が気に入ってくれ、微笑ましいホットな九州磯釣連盟の総会が和やかにあったことを紹介しました。


その日の午後3時には、小倉東のサンリブ内で、4人でお食事会

ミータンのパパはお仕事で来られなかったのですが、お腹いっぱい食べました。その後、小倉南、長野にある広い公園、遊具で夕方6時まで遊びまわります。




長野運動公園は、サッカースタジアム建設予定地でしたが、自然環境を壊すことを恐れ、地元住民から猛反発され、現在、そのサッカースタジアムは小倉駅前に建設中です。
今日はたくさん遊んだので、そのままミータンを送ってゆきました。




そして、その次の週の平日、再びミータンが遊びに来てお食事会。そして、予約していた花火をしました。


5月17日、18日は、大分県津久見でお魚釣り

17日の夕方から四浦半島の中ごろにある深良津港でクロ釣りを楽しみました。
昼から赤崎港でチヌ、クロなど大漁でした。詳しくは「サーフメイズ JAPAN」でどうぞ。
ちなみに、帰りの津久見インターETCから、誤って大分方面、佐伯ICに行ってしまいます。標識が分かりづらくて、一瞬の分かれ道に文句を言ってやりました、佐伯ICの職員さんに、すいませんでした!!


5月25日(土曜日) 北九州私立美術館でルーベンス展



洋子ちゃんがどうしても観たいという、ヨーロッパの画家、ルーベンス展を北九州市立美術館に行きました。
もう30年ぶりかも知れない市立美術館は随分変わり、すごーく親しみやすい市民ギャラリーという感覚で、いつでも訪問できるというスタイルが良かったですね。それで前売り券をコンビニのインターネットで買えて、お得感があります。



午前10時に洋子ちゃんと館内に入り、大きなブロンズ像が3体あって、記念写真。1F、2Fの館内写真OKでしたが、3Fのルーベンス展はチケットを出して入場。

たくさんのギャラリーは女性が多く、私達のシニア夫婦はちょっと少ないようです。その中で大きな絵画、キャンバスはタタミ一畳ほどのものから、その倍ぐらいのサイズもあって圧倒されるのでした。
その絵は17世紀のイエスキリストとか天使をイメージしたものが多く、写真のようにはっきり鮮明に描いているのが、洋子ちゃんお気に入りなんですね。でも私は宗教的な絵は、あまり好きではありません。


私が興味を持ったのは、ルーベンスが版画利用して多くの人々にPRしたテーマでしょうか。

昔の新聞、写真のアミの濃淡で描いた技法で、銅版とかエッチング、木版、石版、エングレーヴィングなど、多彩な技法で精密なモノクロトーンを描写しているところに凄さを感じました。印刷所に勤務をしているので、素材とかインク、材質などはすごく気になるのですが、それを紹介する資料はありませんでした。1時間ほどかけて、じっくりお勉強しましたが、作者のルーベンスが趣味の絵画によって、国の戦いを正す政治活動をしたことが紹介されています。


ルーベンスという人物像を見れば、厚いキリストの信仰者


であり、宗教を重んじる上で、戦争を嫌った平和主義者、そして人々を大切にしたオピニオンリーダーでもあります。しかしながら、キリスト像や人々の美しさを表現する上で、豊かな貴族が喜びそうな、ふくよかな体形には、今までにない豊かさと富を象徴する画風があります。そのことでルーベンスが、いかに平和主義者であるか、分かるのですね。


                           ◇
ルーベンスがペレスクに宛てた手紙より  (※ペレクス=フランス人学者)

私は平和を愛する人間であり、策略やあらゆる種類の紛争をペストのように増悪しています。そして、心の平穏の中に生き、公的にも私的にも、多くの人々のために役立ち、誰も傷つけないことこそが、すべての名誉ある人物の第一の願いであるべきだと信じています。全ての王と貴顕たちがこのような見解であるとは限らないことを残念に思うのです。王たちが犯すいかなる過ちにも、民衆は苦しむことになるのですから。       1635年8月16日



昼から八幡西区の「セイ・トオイ」ケーキ屋さんに行き、洋子ちゃんが食べたいシューロールケーキを購入します。行橋から買いに来たと言ったら、すごく丁寧にあつかわれ、色々とサービス?してもらえたようです。
そのケーキを持って、吉本耕二くん家に行き、お母さんと色々なお話しが1時間ほどありました。もちろん彼にも挨拶を欠かせません。



次に新築された藤崎さん家にもロールケーキのオミヤゲ。ここでもまず、藤崎義慶治くんと美奈ちゃんにご挨拶して、再び奇麗な奥様とお話し、色々。
そして添田の大道洋子さんに会います。夕方でしたから、お父さんが文覚くんを連れて帰って、再び家族5人で懇親会です。色々なお話しがありましたけど、みんな釣り仲間訪問なのですね。だから気兼ねなく「今度は私家に来て下さい、ハンバーグを準備しています」と、3件の皆さんに同じように言って帰宅。ただし、孫のミータン家にもロールケーキを届け、夕食はサンリブでお弁当を買って、この日も夜8時帰宅です。

5月まとめ

今月は九州一周釣りの旅から、元永区とか、釣り友達、そしてお魚釣りなどでありますが、平日の夕方から庭の手入れは、主にバラ園の整備ですが、バラのトゲであっちこっち切り傷をおいながら、雑草を取るのが大変でした。そして、セメントやレンガを使ったアートから外灯などの設置など、毎日毎日が忙しい私達夫婦でした。


平成25年6月より梅雨の季節が始まりましたが、皆様、健康に十分注意され、楽しい、面白い、ゆかいなライフスタイルを築いて下さい。

My Life Stage 6月・7月 3

行橋市 元永神幸祭

2013.4.28











元永神幸祭 2013.4.28





大祖大神社

元永、須佐神社

大祖大神社(須佐神社)





洋子タン、ユーミンも参加

オモチ、菓子を頂きました

元永、祇園団地の皆さん







子供神輿もあります











祓川で神楽奉納

元永神楽会の皆さん